アベ NO THANK YOU !

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8.22 「自由民主党改憲草案問題点について」(黒澤いつきさん)

8月22日に行なわれた アベ NO THANK YOU! シンポジウムでの

明日の自由を守る若手弁護士の会 共同代表 黒澤いつきさんのスピーチです。

 

以下は黒澤さんのスピーチを書き起こしたものです。

 

明日の自由を守る若手弁護士の会、共同代表をしております黒澤いつきです。

明日の自由を守る若手弁護士の会は私を含む28名の弁護士によって昨年の1月に設立されました。目的は2012年4月に発表された、自由民主党の改憲草案、その内容と危険性を一人でも多くの国民の方に知ってもらうことです。1年7か月経過した今現在は、北海道から沖縄までおよそ340人前後の会員(全員弁護士)の規模に成長しています。

自由民主党という政党はご存知の通り、1955年の結党以来、自主憲法制定を公然としている政党ですので、自民党の議員が「憲法を変えたいんだ。」という発言をしたところで今さら驚くことも無いわけですが、2012年4月に発表された改憲草案、これは前代未聞の代物でした。皆さんの中にもお読みになった方も多いと思いますが、それまでの改憲、護憲の闘いは多かれ少なかれ9条を変えるか変えないかの闘いだったと思います。憲法を変えたい人、つまり9条を変えたい人だった訳ですが、今回の改憲草案はそれどころではありません。近代市民革命前後に誕生した自由と人権の思想、およそ近代民主主義国家であればどの国でも礎にしている思想、世界観、中核にしている価値観、そういったものを全てひっくり返す内容でした。改憲草案が発表されたあとに起草なさった議員さんから次々とツイッターでツイートがなされて、「天賦人権論は取りません。」「立憲主義という言葉は何ですか?私は大学時代に聞きませんでした。」と実際に発言されています。確信を持って提案されている改憲草案なのです。まさに国民を国家に隷属する駒として縛り上げる国家の自立の宣言と言っても過言ではないというような内容でした。

私たち弁護士の使命は、弁護士法第1条に「基本的人権の擁護と社会正義の実現」と書かれています。そういう使命を負っている法律家としてあの改憲草案を知ってしまった今、黙っている訳にはいかないということで会を立ち上げました。そういうスタートを切り、この1年7か月、安倍政権の誕生とほぼ同じ時期に私たちこの会を立ち上げたのですが、ご存知のとおり暴走を繰り広げる安倍政権を前にして考える暇もなく、と言いますか、走りながら考えるということしかできない1年7か月でした。民主主義と立憲主義、近代国家の土台をひっくり返そうとする暴挙を食い止めるため私たちが法律家団体としてできることは何だろうと試行錯誤する中にいます。

民主主義、立憲主義の説明などの学習会ではないので今さらここでは申し上げませんが、ひとつ思うことがあるのです。まさに今、どういう時なのだろうと思う時、私たち主権者国民が民主主義を手放すかどうか、民主主義国家の主権者として自殺してしまうのかどうか試されている時だと思います。民主主義というシステムが正常に機能していれば、民主主義の危機、立憲主義の危機は乗り越えられるはずだと思っています。信じ難いレベルで民意を反映しない小選挙区制という制度があろうとも、民主主義のシステムが正常に機能していれば私たちはこの危機を乗り越えることができると私は確信しています。

私たちの会がカフェ、レストラン、居酒屋、お好み焼き屋さん、あえてそういう場所を選んで憲法の学習会をしている、あるいは(チラシを見せながら)「あすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)先生がチェック、安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)と報告書」、「わかこ先生がチェック、政府の基本的方向性」など、安倍さんの仰っていること、安倍政権のやっていることをあえて学校の生徒の答案のように見立てて赤ペンで真っ赤にして、落第答案のように笑いを交えて、馬鹿にしている、と言いますかあえて軽く、あえてチャラく、あえて緩く、という活動をしているのも私たちが民主主義を手放すかどうかというところと大きく関連づけているのです。思うところがあってのことなのです。民主主義のシステムが正常に機能する不可欠の前提は、主権者がものを考えてアクションを起こすことなのです。先ほどの川嶋さんが最後に仰った、主権者がものを考えてアクションをする、ものを考えて疑問を抱く、そして怒る、そして投票に反映させる、そういう主権者がいてこそ民意が国を動かす訳なのです。権力が特定秘密保護法なんていう、実質的に改憲に近い悪法を作りたがるのも、実現してしまいましたが、暴走する権力としては自然なこと、正に彼らはものを考える主権者を恐れる訳です。国民をものを考えない民に落とし込めてしまえばいいと思う訳です。それがいかに私たちにとって、民主主義国家に生きる一人の個人として屈辱的なことかわかってほしいです。国会を包囲しながら、悔し涙を流したその怒りをどれだけ持続させることができるか、私たち主権者が試されているのだとすごく思います。ことに、民主主義を動かす、これに王道はありません。近道もありませんし、派手なキャンペーンを張ってどうにかなるものでもありません。国民の一人ひとり、みなさん一人ひとりに憲法と政治と自分自身、そして自分より大切な自分の子どもの問題として捉えてもらう、法律家団体として主権者アンテナを研ぎ澄ます活動と私はよく言うのですが、国民の主権者アンテナを研ぎ澄ます活動が求められていると日々感じています。あまりにも途方もなく、地道な活動です。日本国憲法の12条にはそれが書かれています。12条はご存知ですか?すごくマイナーな条文なのですが、前段を読ませて頂きます。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」私自身、憲法の学習会にお呼ばれする時は、必ずこの条文を最後にご紹介するのですが、結局この権力、安倍政権の暴走は私たち主権者自身がやってきたお任せ民主主義のツケなのだと肝に命じるところからスタートしなければならないと思っています。そんなお任せ民主主義は民主主義ではない、ということです。どんなに途方もなく、地道な、面倒臭い作業だと感じたとしても、主権者一人ひとりの普段の努力、何でも見てみる、何でも聞いてみる、そして考えてみる、疑問を持ったらアクションを起こしてみる、他の人に話してみる、そういう精神活動の繰り返し繰り返し、永遠の繰り返し、そういう努力でしか自分の自由、人権、そして民主主義も守れないのだ、それしかないんだ、そういう自覚が何よりまず必要なんだと思います。

こと安倍政権という権力は、本当に不思議な権力ですよね。首相個人に絶大なカリスマなど一切ないのに、こう言ったら失礼かもしれませんが、熱狂的なファンがいるわけでもない、なのに何故がモヤッとした支持で安定的な支持率を得てしまっている。民意というものへのあからさまな敵意、そして戦後民主主義を全否定したいという情念だけで暴走している訳です。ですが、そこには暴走を許す主権者の無関心があるのだということもまた自覚しなければならないと自戒を込めてそう思う日々です。その無関心をどう克服するか、カギはここにあると思います。この場にいない人、このシンポジウムが今日あると知らない人をどう動かすか、どう気づいてもらえるか、どう振り返ってもらえるか、私たちはいつもそれを思っています。私たちは若手弁護士で集まっている団体ですので、20代~40代の世代の人たち、これからこの国を背負っていく人たち、これから子供を育てていく世代にどう世の中の政治や憲法を身近な自分自身の問題として捉えてもらえるかということをしきりに考えています。

戦争のお話や川嶋さんのお話もすごく胸に刺さりましたが、私を例に取ってみますと、私は今33歳なのですが、1981年生まれです。1981年生まれの人は今33歳なのですが、先の大戦を知らないどころか、ベトナム戦争も知らないのです。私の人生において一番古い戦争の記憶は湾岸戦争です。闇から闇に向かってチュローン、チュローンと時々光るミサイルを打ち合う、その光景しか知らないのです。これが戦争か、そこに全然生々しい殺りくの映像などないのです。もはや戦地にメディアが入ることを規制されていますので、まるでゲームのような他人事のような光景しか見ずに育ってしまうのですね。あるいは安保闘争も学生運動も知らない世代なのです。全てが終息してから生まれた世代です。なので、政治を語ること、これがもはやタブーになってしまったような閉塞感の中で育ってしまった人達です。本当に積極的に動かなければ政治とコミットすることができない、関心を持つことができない世代が今まさに子どもを産んで、育てて、これから社会を担う世代を任されようとしているんですね。そういう人たちにどうやって気づいてもらうか、本当に高い高い壁ですし、ここに座っている私自身がその世代ですが、マイノリティ中のマイノリティだという自覚があります。なので、同じ世代の友達にどうやったら振り返ってもらえるか、どうやったらこのチラシを面白がって読んでもらえるか悩む日々ですが、そういう高いハードルを乗り越えていかなくてはならないと思っています。ですが、そこがカギなのだと一つ考えております。                           もう一つのカギは、過去のイデオロギーの対立にとらわれないリベラルの大きな連帯がどれだけ作られるかというところにかかっているなと思います。

最後の最後にすごく自虐的な意味を込めて毒づきますが、リベラルと言われるあの政党もこの政党も、20代、30代の若造の私たちにとっては、どちらも風前の灯の弱小政党に過ぎないのですね。同じに見えるのです。だから、そこで連帯できない意味がわからない。学生運動も全て知らない世代なので、それくらいの感覚で今、います。ウイングの広いリベラルの連帯がどれだけ取れるか、大同団結の取れないのが左翼の弱み、なんて最近思っておりますが、そこが大きなカギだと思っています。近代国家でいられるかどうかの瀬戸際なのです。民主主義国家でも軍隊を持っている国はあります。ヨーロッパでも。安倍政権が目指している国家は、そういう国家ではないのです。フランス、イギリス、ドイツのように民主主義国家でありながら軍隊を持つ、そんなところはゴールではないのです。先ほど言った、民主主義国家すらやめよう、という宣言が自由民主党の中でなされているのです。そういう瀬戸際の中において、みなさんと共に誇り高い主権者として大きな連帯を作ってこの瀬戸際を乗り越えたいと思っております。

ご清聴ありがとうございました。

 

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