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フランスと日本の今(2014.10.13の朝比奈誼さんのスピーチ)

朝比奈誼さん 仏文学研究者、長きにわたり仏文学研究、フランス語教育に携わる。教えた学生の数はのべ1万人を越える。現在は立教大学名誉教授。著書に 『フランス的ということ』『コトバの壁—外国人の目で読む日本文学』『デカルトの道から逸れて』『パリ 歴史の風景』など多数。その他モンパリというインターネットのサイトで毎月、朝比奈先生のフランス語にまつわる素敵なエッセイが掲載されています。どうぞお読みください。

今日は「フランスと日本の今」と題してお話し頂きます。

朝比奈です。今は新宿の朝日カルチャーというところでフランス語を教えています。その教材のひとつにフランスの新聞「ル・モンド」があり、それを見る機会が多いのです。それで、「ル・モンド」から今の安倍政権の動向、とりわけ集団的自衛権の問題に関連する記事を今日は3つほど取り上げてその内容を簡単にご紹介したいと思います。つまり、日本国内の論議とは別個に、外側の世界から日本はどう見られているかということを皆さんに少しでもお伝えできればいいと思います。

最初に、これは5月の末、28日の「ル・モンド」の記事ですが、こういうタイトルでした。「日本は世界で軍事的役割を演じたいと望んでいる。」つまり今まで日本は、平和及び文化国家ということを標榜してきた訳ですが、今や宗旨替えをして軍事的役割を演じたい、と考えるようになった、ということです。筆者は日本にもずっと住み着いているフランス人フィリップ・ポンス、日本通の特派員です。冒頭にはこのところ日本でも改めて問題となっている憲法9条の仏訳が載っています。これは世界に冠たるものだと再認識したうえで、それを日本はやめてタイトルに載ったような国になろうとしている、という記事です。そこで今の安倍政権の取り組みを紹介するその前段として、日本は今までに何度も何度もその立派な憲法を読み直す作業をしてきたと指摘します。興味深いのは「読み直す」というときに、彼がフランス語の「entorse」を使っていることです。entorseというのは、最初の意味としては「(関節などが)捻挫する」、その次には「法律の文章を歪曲する」、最後にはもうそれを通り超して「その法律を破ってしまう」、そんな単語です。そういうentorseを日本は既に何度も重ねて、だから自衛隊ができたし、結局イラク戦争にも参加するような、表向き戦場には出ていないが背後で参加していた。この流れの行き着く先が今度の「集団的自衛権」の問題だ、と。しかし、安倍首相は戦争ということを前面に出したくないものですから、平和をしきりに強調して、「積極的平和主義」という言い方をします。フィリップ・ポンスはこれに食いついて、その「積極的」を「proactif」という形容詞に翻訳しています。proactifというのは英語ではproactiveで、この頃テレビで広告しているニキビの薬がありますね。つまり、ニキビが出る前に手を打つ、というわけ。フィリップ・ポンスは安倍流の「積極的平和主義」とはすなわちpacifisme proactifだという。要するに、表現を和らげただけのことで実質は「平和を守るためにあらかじめ戦争をする権利を獲得する。それが安倍首相の真意なんだ。」と結論づけるわけです。

2番目の記事、7月12日に同じフィリップ・ポンスが書いたもの。題して「日本平和主義現代化の不安」。「現代化」にわざわざフィリップ・ポンスは「aggiornamento」という言葉を使っています。元々はイタリア語ですが、カトリック教会が今、過去の教義解釈を現代の状況に合わせようとしてしきりにaggiornamentoを行なっている、そういう風に使います。フィリップ・ポンスに言わせれば、日本の過去70年、それは平和憲法を掲げた戦後日本のアイデンティティを証すものなのに、安倍首相はそれを現代化しようとしているのです。しかも、現代化に「négationnisme」が重なっている、と指摘します。そもそもnégationは「否定」を意味しますが、何を否定するか、これが問題です。僕も改めて調べてわかったのですが、これはナチスが大量のユダヤ人を捕まえてガス室で殺害した、これはもう僕らが歴史的な事実として承知しているはずなのに、それをあえて否定する。そういう人たちがドイツのみならずヨーロッパ、さらには世界中にいるようですね。要するに、実際にあったことなのにそれをあたかもなかったかのように考える、そういう考え方、それがnégationnismeです。

フィリップ・ポンスは安倍首相を中心とする今の政権の陰にnégationnismeが潜んでいると言います。かつての日本帝国軍がアジアで犯した様々な「権力の乱用」と、ごく抽象的な言い方にとどめていますが、もちろんフィリップ・ポンスとしては先程の講演にも出てきた従軍慰安婦の問題も含めている訳です。そういう事実の評価を最低限に押さえようとするnégationnismeが今の安倍政権の根底にある。だから、先ほど取り上げられた河野談話を今の安倍政権は否定する方向に流れているように推測されます。なぜ否定するのでしょうか。そもそも河野談話の根底にあるのは「repentance」「悔悟」、つまり「申し訳ありませんでした、私たちはあなた方に悪いことをしました」と言って謝るという考え方でしたし、これが従来の日本の外交の基本であったはずです。ところが、今の安倍政権にしてみれば、悔悟はもう沢山なのです。それどころか、その拘束から逃れて、もっと自由になりたい、自由になりたい、言いかえれば戦争がしたい、のです。そういう安倍首相の態度をフィリップ・ポンスは「décontextualiser」と批判しています。単語の真ん中にcontextという言葉が入っています。つまり人間の社会には時間的、歴史的にも空間的、地理的にも必ず「context=文脈」があります。時間的文脈としては、この21世紀の日本は19世紀、20世紀という歴史の流れのあとにあるし、中国とか朝鮮半島の隣にあるという地理的関係もまた一つのcontextです。単語の頭のdéというのは「壊す」を意味します。したがってdécontextualiserを訳せば「文脈を無視する、脈絡を逸脱する」です。安倍政権のやっていることは、自分たちの過去の所業を一切忘れ、日本はどこにあるかという空間的文脈も無視して、自分たちの思いどおりにしようと躍起になっている、フィリップ・ポンスはこれをdécontextualiserと呼び、断罪したのでした。

しかし、こういうようなことを言ったうえで、フィリップ・ポンスは日本の国民全てがそれを望んでいる訳ではない、と付け足します。なぜそれがわかるかと言うと、一つは世論調査、もう一つは街頭デモだと言っています。そこにこそ国民の意思が見て取れるというわけです。そういう意味で、先程来皆さんがおっしゃっているように、僕たちが行動に移るということ、デモをするということは意味があると改めて感じる次第です。

もうひとつ、3つ目は6月21日付けの記事ですが、これはフィリップ・ポンスではなくて、「ル・モンド」の別の記者がパリで開かれた武器の見本市、それを報道したものです。この見本市については何日か前にNHKが紹介してここにもご覧になった方がいらっしゃるかと思います。あの放送には防衛省のお役人がもう嬉しさを半分隠しながら登場していましたが、それを報じた「ル・モンド」の記事はこう題されています。「日本、武器売り込みレースに復帰」。わざわざretour「帰還、復帰」というコトバが使われていることに注目しましょう。僕たち、物心付いた時からずっと日本は平和国家だと思っていたわけですが、戦争前はそうではありませんでした。日本は侵略を旨とする軍事国家だったわけです。その当時は、武器を開発・製造し、軍拡競争の世界で凌ぎを削っていたのでした。そのレースに日本が戻るというのがタイトルなのです。

その記事によると、57か国、1500社が参加したというのですが、2年ごとに開かれている見本市、前回の2012年はアメリカが主役だった。なぜ主役だったかと言うと、ご承知のようにオバマ政権が軍事費を大幅に削減しました。そうするとアメリカの武器製造者は外国に売らなければなりませんから、この見本市にワッと押しかけた。アメリカが話題を攫った、というわけです。ところが今度は日本が話題を攫った。何故かと言うと、久方ぶりに戻って来たからです。僕たちは平和国家だと思っていますが、世界の記憶は違う。あれは帝国主義ヨーロッパの真似をしている軍事国家だという意識がそこから消えてしまったわけではありません。だからこそ、「復帰」なのです。この記事を読むと、日本の他に5か国が新たに、参加したとある。香港、アルゼンチン、イラク、コロンビアなど、残りの国の名前を見る限り、どれも武器を買いに来る側であるのに対し、日本は売り込みを狙っている側でしょう。主催者はたぶん日本側から釘を刺されたのでしょうか、非常に慎重な受け止め方をしている、「日本はこの見本市に来ているけれどもヨーロッパ、アメリカとの親善関係を深めるためにすぎず、売ったり買ったりするところまではきていない」とル・モンドの記者に向かって答えたそうです。これはこの前のNHKの報道番組にも重なることだと思いますが、そういう風に控えめに言われれば言われる程、「武器輸出三原則の撤廃」という閣議決定の重大さが浮き彫りになります。世界の目から見れば、またしても日本がああいう国になる兆しとかんぐられても仕方がない、そういう危機的状況であることを皆さんどうぞ肝に銘じて頂きたいと思います。

仏文学研究者・立教大学名誉教授 朝比奈誼

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